拙なる日々

コロナウイルス対策の一環としての暇つぶしです。

この違和感を納得するには?

コロナ禍で休業や活動自粛を余儀なくされている方のご心中、察するに余りあります。本当に早く元に戻ってほしい。
その一方で「休業要請するなら国が補償しろ!」という声には、個人的には違和感を拭えません。経済的に困窮している状況の方にとって、非常に酷な言い方ではありますが。

 

「補償」といっても、結局のところそれは国民のお金です。多くの人が汗を流し、ときには涙をにじませ、場合によっては命を懸けて稼いだお金です。簡単に出せるものではない。

 

外に飲みに出かけない人が、なぜ自分の財布を痛めて飲み屋の補償をしなければならないのか?パチンコ屋の休業しかり、役者さんの活動自粛しかり。そういう人たちが厳しい状況だからといって、日常自分に関わりや興味がないものにまで引っくるめてお金をジャンジャン出せるほど、一般国民は財布にも心にも余裕はありません。せめて納得できる理由がほしい。

 

そこでこういう方々は、国への補償を言う前に、まずは自分の親とか親戚とかに今の窮状を訴えてほしいのです。実際に援助が得られるかどうかは別として、その過程を経ることが、結局は補償に対する国民の同意を得ることに繋がることになると思われるからです。

 

「私の反対を押し切って、お前が選んだ道だろう。自分で何とかしなさい」
こういう頑固親父を何とか説得しなければならない。
「散々好きなことやってきたくせに、困ったときだけ泣きつくのかい?甘ったれるんじゃないよ!」
こういう嫌味な親戚のおばちゃんに頭を下げなければならない。

 

それでも理解が得られないのであれば、諦めて窮屈なサラリーマンでも日雇いのアルバイトでもして、また一から何とか稼いでいくしかない。生きていかなければならないのだから。

 

そうは言っても、私自身も支えたいと思う人達がいます。支えたい人達が支えたいと思う人々を支えていくのは、自由だ。ふるさと納税のような仕組みが作れないものか。

 

空っぽの財布を揺すられて補償をせびられるより、「こういう仕組みを考えた。実現してくれ」といった訴えの方が国も動くと思うのですが、何かないものでしょうか。