拙なる日々

コロナウイルス対策の一環としての暇つぶしです。

歴史を旅する 中津(1)

家でじっとしているのが、段々我慢できなくなってきましたね。

「県外に出なければ、いいんだろ?」

と自分で勝手に言い訳して、大分県内ギリギリの中津をブラブラしてきました。

大分には中津をはじめ、たくさんの城下町があって、歴史好きにとっては歩いているだけで飽きのこない面白さがあります。

 

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中津の有名人は、なんと言っても福沢諭吉大先生。福沢先生は、中津の誇りであり、大分の誇りであり、日本の誇りでもあります。 

旅人がJR中津駅を出ますと、一番目立つところで先生が出迎えてくれます。いや、私なんぞを出迎えるはずがない。屹立して、今なおこの日本をじっと見据えておられるのだと思います。

いやしかし、銅像の方角からいえば、日本の西の果てに近い中津からさらに西側を見ておられるので、お尻は東。福沢西向きゃ、尻は東。日本の大部分のエリアに尻を向けている格好なので、見ておられるのは九州か?いやいや、そんなに小さいはずがない。九州の西、遠く東シナ海を越えて広大な中国大陸、そして世界を見据えておられることでしょう。

 

福沢諭吉は、中津生まれではありません。中津藩の蔵屋敷があった大坂生まれなんですね。お父さんは百助という方で、福沢家は一応は武士の家柄でしたが、だいぶ下っ端でかなり貧乏。しかも諭吉が物心つくまえに百助さんが亡くなってしまい、母子6人(!)で中津に戻ってきます。お母さんのご苦労、察するに余ります。

 

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朝ドラは見てみたいですね。これは運動を頑張ってほしい。賑やかなドラマになるでしょう。

諭吉少年、後年お札の肖像になるなんて想像がつかないくらい、だいぶ「不良」ですしね。お母さんも手こずったと思います。神社のお守りを踏みまくって本当に罰が当たるのか試してみるなんて、今でもこんな子供がいたら少し変だと言われそうですが、神仏が絶対的な意味を持っていた当時にこんなことを平気でやるのですから。『盗んだバイクで走り出し、夜の校舎窓ガラス壊してまわる』(某ミュージシャン名曲)並みの、いや当時としてはそれを上回るくらいの過激なことをやっています。

 

諭吉が若い時間を過ごした中津は、ガチガチの身分制社会や封建的思想が跋扈する保守的な土地で、下っ端侍の彼にとっては居心地は良くなかったようです。中津時代の諭吉は、がんじがらめの校則、いや当時の社会そのものに反発し、ニッポンの窓ガラスを壊してまわりたいような気持ちでいたのかもしれません。そういう意味では、現在の中津市からしてみると多少複雑な感じがしそうですが。

 

諭吉が30代のときに時代は江戸から明治に切り替わり、古い考えがどんどん否定されて、新たな社会が形作られていきます。そういったなか、それまでの封建的身分秩序の社会は少しずつ消滅していったわけですが、代わりに学歴社会が登場し、今となっては諭吉先生が設立した慶應大学がその新たな身分制のトップに君臨するようになりました。

身分や家柄の時代よりも、個人単位ではある意味はるかに厳しく、残酷になってしまった現代社会。先生はどのように感じておられるのか。駅前の銅像は、今日もただ腕組みをして屹立するのみです。