拙なる日々

コロナウイルス対策の一環としての暇つぶしです。

季節が移る

自宅の近くにちょっとした丘があり、小さいながらも季節の移り変わりを楽しむことができるため、週末の都度ブラブラするのが楽しみになっています。春は桜、梅雨どきは紫陽花。夏になると蝉の声がけたたましい。

 

最近は、少し寂しい感じがします。夏まっ盛りの頃から頑張っていたツクツクボウシは、週末ごとに声が小さくなって、今日はもうほとんど聞くことができませんでした。聞こえるのは、足下から流れる秋虫の声ばかり。季節が移るというのは、命が移るということなのだと改めて感じます。

 

人間以外の生き物は、すべからく生きるべき時を真っすぐに生き、季節が移ろって自己の時が満ちた時には、愚痴一つ言わずに静かに死んでいく。

生きることの崇高さを、どの生命体よりも理解しているはずの人間は、ゆえに死を恐れ、ゆえに宗教や哲学を構築して生に理屈を与え、その理屈のために生きるべき時をむやみに浪費し、他者と同じであるはずの自分の運命を呪いながら死んでいく。

人間以外の魂の方に、はるかな崇高さを感じるのは、神の仕掛けた壮大な皮肉なのでしょうか。

 

丘から降りると、暗くて少し明るい茜色の秋の空が拡がっていました。今日も日が暮れていく。冷たくなった風の声が聞こえる。そして少しだけ、また季節が移る。

 

人間は時が流れていくことを知っている。それが一個の生命体としては哀しいことであることも知っている。それでも生き続けていくところに、人間の魂の崇高さがある。

腹が減った。お風呂に入って、ビールでも飲みましょう。