覚えていますか?私も忘れていましたが、この文章は、かつて存在した大分県立春日浦野球場の話しでした。
今、この跡地にあるスーパーの一角に、西本幸雄、関口清治、荒巻淳といった草創期のパ・リーグを席巻した名将、名選手の写真が飾られている。西本さんは前回触れましたが、皆さん全員、大分別府の星野組という社会人野球チームのメンバー。それもそのはず、写真はこのチームが大会で日本一になったときの、試合後のセレモニーを写したものでした。
星野組は野球チームとしてはわずかな期間しか活動していませんでしたが、めっぽう強くて、その後、このチームの主力がプロ野球「毎日オリオンズ」(千葉ロッテの前身)に入団し、最初の日本シリーズを制したことは、前回書きました。
跡地に建つスーパーの店内には、星野組の優勝セレモニーの写真と一緒に、球場建設に至るまでの詳しい説明が書かれていました。それによるとチームの実質的なオーナー、今でいうGM的立場だったのかもしれませんが、その方が球場建設に大きく絡んでいた。大変なやり手だったらしく、また熱烈な野球好きで、かつ超ワンマンオヤジ(たぶん)。この場所にポンと土地を提供し、「野球やれ!以上!」。
色々面倒なことを誤魔化すために、星野組の選手たちに球場建設の手伝いまでさせたようなことも書かれていましたから、その後のチームと球場との関わりも深かったのだと思います。それにしても、後に球史に燦然とその名を輝かす伝説的プレイヤーたちが、大分で球場建設の手伝いをさせられていたとは…。
さらに調べると、かつてはこの球場でもプロ野球の試合が行なわれていたようです。
チーム名だけで、もうノスタルジックですね。
記録を見る限り、これらのチームがこの場所で試合をしたのは、私が生まれるかなり前の頃になりますが、そういう事実を知ると、不思議とその数十年前のざわめきが、熱気が、何となくまだそこかしこに残っているような感じがしてきます。汗まみれ、泥まみれで働いた体で、でもはち切れんばかりの笑顔でプロ野球の試合を観るために続々と球場に入っていく人々。時を超えて、自分もそんな高揚した気分の人たちと一緒に、今から野球を観に行くような気持ちになりました。
球場の跡地というものは、古戦場のようなものかもしれません。そこで繰り広げられた数々の名勝負、ヤジや歓声、土と煙草と酒の匂い、散らかされたゴミ。
今では想像がつかない、でもかつて確かにそこに存在した時間。それらはもう何もなくなって、いまは、スーパーの一角に小さな写真だけが飾られています。(やっと終わり)