荒くれのヤンキーが、雨に濡れてビショビショになった捨て犬をひろう。その姿を偶然見かけた少女が、恋に落ちる…。
わたくしが勝手に規定している、昭和少女漫画のド定番(?)シーンですな。
人間には誰しも二面性があります。
至って平和主義者であるわたくしではありますが、荒くれヤンキーとは逆に、歴史探訪の際には血が飛び散った痕跡のようなものを感じられる場所に好んで行きます。その姿を偶然みかけた少女も、恋には落ちません。
近所が維新回転の舞台であるというのは、いいですなあ。
吉田東洋が暗殺された地に立つ図書館で「竜馬がゆく」を借りてきて、武市半平太が腹を切った場所にあるいつものスーパーで土佐の酒を買う。
夜になったら、飲みながら読むんです。
すると、冴えわたる司馬遼太郎のペンの力もあって、いまそこで事件が起きているかのような感覚が生じる。
夜の暗闇には、時間の流れをも闇に沈めるようなところがあります。
静かになった街のすき間から、東洋の最期のうめき声や半平太の激烈な無念を、かすかに感じ取れるような瞬間があって、これは事実があったその場所でしか味わえない。
わたくしにとっての血塗られた場所への巡礼とは、平和主義とかそういったこととは関係なく、己の信念を貫き、死んでいった者への供養の気持ちが込められているのだと思います。
だって、こんな生き方自分には無理だもん。