700人vs.50000人の戦い。 降伏勧告をはねのけられた島津勢は、圧倒的に優勢な数の力を頼みとして、力尽くで岩屋城に攻めかかります。これだけの兵力の差。島津、大友の勢いの差。島津側は、こんな小城のひとつくらい簡単に落ちるだろうと、高をくくっていた…
高橋紹運の居城であった岩屋城は、古代史で有名な福岡県の旧大宰府政庁の裏山といえる場所に築かれていました。 実際に登ってみたら、高さはそれほどでもありませんが、平地からいきなり急峻な山となっていますので、「まあ普通、城作るよな」といった、そう…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。