室戸岬というと、行ったことがなくても知っている。台風がくるたびに、耳にしますからね。
高知県の気象予報は、「高知市」「足摺岬」「室戸岬」の3つがテレビで出ることが多いのですが、高知市はともかく、東西はそこまで端っこの地区にしなくても…とは思います。
やっぱり台風のせい?
四国はお遍路が盛んな地域ですが、高知県内にも多くのお寺があります。
歩道なしの普通の国道をお遍路さんが歩いているので、車で動くときは注意が必要です。
室戸岬の近くにも、最御崎寺(ほつみさきじ)という所があって、空海がこの地で修行していたら明星(金星)が飛び込んできたとかいう伝説があるらしく、そのためかお寺の山号は「室戸山 明星院」となっています。
わたくしの家のベランダには、カメムシがどんどん飛び込んできますので、将来悟りを開いたなら、「亀虫院」の山号を掲げてもらえることでしょう。
誰もお参りに来ないだろうな…。
ここのお寺は、まあやっぱりある意味「場所が良い」ので、大みそかの「ゆく年くる年」の格好の中継場所になるようです。除夜の鐘の放送があるたびに、記念の石碑を作りかえているのでしょうか。
これによれば最後が「平成13年」ですので、そろそろ次あたり期待できそうです。
高知の銅像好きは、室戸岬にも。中岡慎太郎像があります。(出身地からはだいぶ離れていますが…。)
ちなみに反対側西方の足摺岬には、ジョン万次郎の銅像が頑張っていて、東西両岬で張り合っています。(万次郎 対 慎太郎)
土佐湾をぼんやり眺めていると、海というのは存外、人の心に大きな影響を及ぼしているのではないのかなあと思うことがあります。
たとえば瀬戸内の島々が集う海を始終眺めている人たちは、何となく思うのですが、島々や対岸に住む人々の暮らしに愛おしさを感じながら、人に対する優しさを育むのではないか。
高知の海には何の島影も見えず、ただひたすらに荒い波が打ち寄せる。
この海はこの地に住む人々に、野生的な何かを育ませるのではないか。何も見えないはるか水平線の向こう側を、何とかして見てみたいという湧き上がるような熱情が、歴史上の土佐人を作りあげてきたのではないのか。
今は情報が発達して、この海の向こうがどのようになっているのか、行かなくても分かってしまっています。現代の土佐人の哀しさは、そこにあるような気がします。