今も衰える気配がない龍馬人気に対して、かつてのお殿様である山内家の人気はパッとしませんなあ。
幕末に活躍した山内容堂公が住んでいた跡地一帯が山内神社になっていて、そこに容堂の像はあります。
でも駅前にも、人気観光地にも「山内」の気配はない。
(さすがに「高知城」には、山内一豊夫婦の像が(なぜか別々の離れた場所に)ありますが…。)
土佐人は今でも、「俺らは長宗我部侍やき、山内のことばあ、よう知らんがです!」みたいな感じなのでしょうか。
容堂公は、銅像になっても酒を飲んだくれていました。
でも、この人ほど酒を飲む姿がサマになる人もいないですね。
神社の門には、山内家の家紋が飾られています。
よく知られた話ですが、かつて山内家に仕えた岩崎弥太郎が創業した三菱のマークは、このデザインが元になっているようですね。
神社近くの容堂公住まいの跡。
はるばる薩摩から西郷隆盛がこの地にやって来て、雄藩連合による幕府運営を容堂にそそのかします。
容堂も何だか軸が定まっていない人なので、外様でありながら土佐24万石を徳川家から拝領した大恩と、幕末流行の勤皇とを行ったり来たりして、挙句「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」なんて陰口をたたかれるようになります。
まあ、でもね。容堂さんはやっぱり酒!酒を飲んでりゃ、なんとかなる!
土佐人は何だかんだ言っても、容堂のある部分の気質を受け継いでいるじゃないか。
山内神社に奉納される土佐の酒を、容堂公は今日もせっせと飲んでいます。
酔って候!