拙なる日々

コロナウイルス対策の一環としての暇つぶしです。

真実の不便さ

私は悲しいかな、味覚音痴とまではいかずとも舌は肥えておらず、まあ大体のものをそれなりに美味しいと感じてしまいます。

 

コロナ自粛の前頃の話ですが、職場の同僚と食事に行ったときのことです。私が自身の舌の貧弱さをぼやいたところ、その同僚は「肥えていても、不便なものです」と言う。この人にとってみれば、世の多くのものは自分の味覚を満たすことに乏しく、だから「不便で困る」そうだ。自慢とか、そういう感じで言っているのではなく、本当にしょげた感じで、少し残念そうに話すところに実感がこもっていました。

 

ごく普通の勤め人であり、食べ盛りの男の子二人を養育していかなければならない彼が、自らの美味の追求のために高級食材を用いた何チャラやら、腕の立つ料理人のこさえた何タラを日常食すわけにはいかない。普通のスーパーや飲み屋さんで、多くは満足できない自身の舌をごく稀に満たしてくれるものを何とか見つけていくしかないわけで、このように考えると、なるほど鋭敏すぎる舌を持つということは不便なことなのでしょう。

 

「見つけた美味しいものをSNSとかで発信すれば、せめてその不便さの意味があるのに」と私が言ったところ、「自分が満足できればそれでいいのです」との答え。

 

真実を見極めることができる人が真実を言うとは限らないし、見極められない人間に限って恥の分別もつかずに、自身の見識を声高に吹聴するかもしれない。
結局のところ、例え才に乏しくとも自らをたくましくして、自分なりの見極めを磨いていくしかないのかもしれませんね。食に限った話ではありませんが。