拙なる日々

コロナウイルス対策の一環としての暇つぶしです。

城と桜1(岡城)

今年の大分の桜の季節は、終わってしまいました。

名残を惜しみ、写真を貼っておきますか。

 

 

お城と桜って、なんだか似合いますね。

個人的に、大分県内でこのセットが一番はまっていると思うのは、岡城(竹田市)です。

 

岡城といえば、このお方。

 

 

レンタロー先生です。

 

先生は、幼少期竹田で暮らしており、ガキ(男の)にありがちな性分として、荒れ果てた岡城の「探検」とかもしていたでしょう。それが名曲「荒城の月」を生み出したのかも。

今の岡城は、もう荒城ではありません。きれいに整備され、城内にこのような立派な先生の像も建てられている。

 

 

どうでもよいのですが、岡城のちょっぺんをうろついていると、「荒城の月」のワンフレーズだけがやたらと聴こえてきます。

近くを通る道路のアスファルトに細工がしてあって、車が通過すると「はるこうろうの~ はなのえん~」が流れてくる仕掛けです。

 

音程が様々。やたらと高音であったり、じっくり低音であったり。

スピードを出しすぎると高音になってしまうようです。ソプラノは捕まるかも。バリトンくらいが安全のためにはよろしい。

ホント、どうでもよいですが。

 

荒城と月(右上に。どうでもよい。)

 

もう何度目かなのに、今回ようやく初めて知ったのですが、もともとの岡城は、今の駐車場から登っていくルートではなく、別の方面が正面ルートだったみたいです。

これがその痕跡のようです。

 

 

城の脇を流れる大野川が天然の堀の役割で、ここに橋があったみたいですね。(ちなみに、この大野川をはるか下流に下っていくと、島津と豊臣が激突した戸次(へつぎ)川合戦の場所に着きます。同じ川が戸次村では戸次川と呼ばれていた。)

 

 

 

だいぶ朽ちていますが、ちゃんと残っていました。こっちは「荒城」っぽい感じです。

 

それにしても、堅牢な城です。

 

 

(当然ながら)柵もなくて、何かの拍子に足を踏み外したら、もうそれまで。子どもが落ちたり、自殺者が出てもおかしくないような絶壁ですが、特にそんな話は聞きませんね。

柵がなければ、それなりに人々それぞれに心の柵ができて、たとえば子どもを近づけさせないように心配りしたり、色々防御するんじゃないでしょうか。今は世の中自体が「過保護」になりすぎているのかもしれませんね。

 

 

桜以外もたくさんの野の花が散らばっていたので、これも残しておきましょう。

 

  

  

  

 

 

人が誰も通らない側道も、桜は満開でした。

 

 

本質的にいえば、花は人のために咲くのではない。

株式的にいえば、「人の行く 裏に道あり 花の山」。