幕末の本を読んでいたら、急に山口に行きたくなりました。
できたら萩とかの山陰道に久々に行きたかったところですが、急だったので、割と行きやすい山陽道へ。防府に出向きました。
防府といえば、志士たちが駆け抜けた萩往還の終着地。ここ三田尻の港から各地に船出し、そのまま帰ってこなかった人も多くいました。野村望東尼終焉の地でもありますなあ。
望東尼といえば、高杉晋作の最期を看取ったことでも知られる幕末志士たちの「おふくろさん」。高杉辞世の句「面白きことも 無き世を 面白く」に下の句を継ぎ足して完成させたことでも知られています。個人的には、継ぎ足す必要はなかったのではないかと思いますが。
おふくろ!こんなこと言って、ごめん!
福岡・太宰府よりも、京都・北野よりも、防府が先に天満宮作ったとのことです。
菅原道真が太宰府に左遷される前に、防府にしばらく逗留していたようです。ここの天満宮の設立はそれが由来のようですが、菅原さん、よっぽど九州行くの嫌だったみたいで、「ここ(防府)だったら、まだかろうじて京都と地続きなのに」といったボヤキの文章だったかか、詩だったかがあったような気がします。
亡くなってからの菅原さんの猛威はすさまじく、特に清涼殿に雷落として貴人を殺害した(と当時の人は思った!)のは、当時の都人にとって脅威とか恐怖とか、もうそんなレベルではなかったでしょうね。ロシアとアメリカと中国から同時に攻め込まれるウクライナ人の心境に近いでしょうか。
九州いい所なのに!そこまで怒るの?
防府には国分寺が現役であります。まあ大昔の設立当時の国分寺では当然なくて、名は国分寺であっても、納骨堂の募集とかして必死に経営されている普通のお寺のようですが…。
それでも、とうの昔に廃寺になって、場所がどこかも分からなくなっている所も多い中で、周防の国分寺は今も立派な山門やお堂を擁するお寺そのものとして存立している点で、何か感慨深いものを感じます。
東はずれにある阿弥陀寺は、防府で一番趣のある場所だと勝手に思っております。
重源(ちょうげん)さんという、奈良の東大寺を再建させたお坊さんが後白河法皇のために作ったお寺だとか説明が書いてありましたが、ぎらぎらしい法皇には似つかわしくない静けさがあります。
ここにあったお地蔵さんの帽子に草のツルが絡まってしまっていたので、取ってあげたら、早速ご利益がありました。
よく固まる職場のパソコンが、1時間半の作業終了後に保存をかけたら途中でやっぱり固まってしまい、顔面蒼白になって絶望し発狂していたら、あら不思議。その後一瞬だけ復帰し、保存だけ出来てまた死んでいきました。でも本当に助かった。
渋い場所に鎮座する地蔵様でしたが、意外にもハイテクに強かったようです。
これも重源さんゆかりの古い木像の大仏様。
すっかり傷んでしまわれ、あまり訪れる人もなさそうでしたが、のんびりと寛いでおられました。「ノルマ(お願い事)が少ないから、気楽じゃわい」といった感じで、定年再雇用者のような鷹揚とした雰囲気を醸し出していました。
かつての毛利藩の海の玄関口、三田尻港の名残をとどめている所は、ほとんど無いように思われました。
数少ない遺構が、写真の御舟倉跡。埋め立てられて周りは住宅地になってしまい、取り残されたように水がたたえられていました。
帰りがけ、なぜか福岡の高速道路のサービスエリアで、奄美大島宇検村のアイスクリームを見つけました。
奄美に住んでいたのも、もうずいぶん昔になりました。
時間は誰の上にも平等に流れています。