拙なる日々

コロナウイルス対策の一環としての暇つぶしです。

東京超ちょっとだけぶらぶら

久しぶりにリモートではなく、ちゃんと体を運ぶ出張がありました。

仕事が始まる前のわずかな時間に、超ちょっとだけぶらぶら。

 

 

薩摩の人間としては、行っておかなくてはならない場所。

かといって、わざわざ行くほどでもない場所。

こんなことを書いたら、大久保利通が怒りますね。大久保が暗殺された場所です。

 

…と思っていたのですが、実際はちょっとだけ場所違うみたいですね。

紀尾井坂じゃなかったの?

 

本当は、ここからもうちょい下った清水谷という所が、最期の場所だったようです。

 

 

大久保の盟友であった西郷隆盛の場合、なんというか多分なのですが、その城山での最期について本人も納得して散っていったような気がしています。西郷はあの時点で、生きてやるべきことは、すべてやり終えたと思っていたであろう。

しかし、大久保の場合は本当に突然で、しかも彼自身やりたいことがまだ山ほどあったなかで、この地で強制的に生涯を閉じなければならなかった。その無念、いかばかりのものであったか。

 

西郷の人気は今でも高く、対して大久保は相変わらず人気面ではパッとしない。むしろ今でも嫌われ者の感じではありますが、真のスケールの大きさは、西郷より大久保の方が上だなあと最近思うようになりました。

時間の経過に伴い、感情的なものを取り払った科学的な観点からの歴史研究が進むと、100年くらい後のこの両者の評価は今と逆転するかもしれません。

 

 

清水谷一帯は公園になっていて、大久保の最期の地を知らせる場所には、ちょっと立派すぎるくらいの石碑が建っていました。

当時の実質的な最高権力者が急に命を絶たれてしまって、残された関係者の気持ちが、この巨大な石碑になったのかもしれません。そういう意味では、今すったもんだしている元首相の国葬問題も同じ図式なのかもしれませんね。

 

大久保は、強い日本を作りたかったのだと思います。

そして実際に、ある時期までの日本は強大な軍事力でアジアを席巻し、その軍事力がこの国を廃墟に変えた後、今度は強大な経済力で世界を席巻しました。

 

ちょうど昼休み時で、石碑のある公園のあちらこちらには、近くのサラリーマン諸氏が何だか少し疲れた様子で、それぞれに一人ずつで時間を過ごしていました。バラバラに散らばったそれぞれの人々が、なんとなく寂しそうな感じに見えました。

 

「強い日本」を達成するために精一杯頑張った日本人は、強くあることに疲れてきているのではないか。大久保さん、オレたち、もう十分じゃね?

久しぶりに行った東京で、そんなことを感じました。