拙なる日々

コロナウイルス対策の一環としての暇つぶしです。

四国本格的にぶらぶら(4)~幕末の土佐

土佐といえば、龍馬。

今もって、ニッポン男子の心を熱くする幕末英雄譚の主役ともいうべき人物です。

 

桂浜に立つ坂本龍馬

 

龍馬は、今も変わらず日本歴史上の特筆したヒーローであり続けていますが、その人気に間違いなく一役買っていると思われるのが、この桂浜の龍馬像だと思います。
完成からすでに100年近く経過していますが、遥か太平洋の彼方を静かに見つめる龍馬の表情が印象的で、とても魅力のある像です。

 

さて、幕末の土佐には、龍馬以外にも様々な人物が躍動しますが、その中で多少「変わり種」と私が感じているのが、ジョン万次郎です。

龍馬をはじめ、幕末の多くの志士たちは、自らの意思で火中に飛び込み、そのほとんどが中途で斃れてしまいました。その悲劇性に、後世の私たちは熱いロマンを感じるわけですが、万次郎の不思議さは、「アレ?なんかオレ、歴史に関わっちまった?」という偶発性にあります。

 

足摺岬に行った帰りに、彼の生まれた集落に立ち寄りました。

 

 

漁師、万次郎。

名字すら持たなかった普通の少年は、普通に漁に出て、とんでもない歴史の大波に出くわします。その結果、彼は、不運と幸運とが交錯する運命の荒波に立ち向かい続けなければなりませんでした。その波を一つ一つ懸命にくぐり抜け、劇的な人生を作り上げていったのです。

 

きっかけは、漁の途中での遭難。

遭難自体はとんでもない不運ですが、幸運にも無人島に何とか辿り着く。さらに幸運は続き、そこで数か月間を奇跡的に生き延び、偶然立ち寄ったアメリカの船に見つけてもらいます。

しかし、このころ日本は鎖国状態。アメリカ船が日本の港に着岸して万次郎たちを送り届けることはできません。せっかく助かったのに、日本に帰れないとは何たる不運…。

ただ、彼の資質は、まるで最初からこの運命を受け入れる準備をしていたが如く、彼に相応しい人生の幸運を手向けます。

 

帰れる場所がなく、アメリカに渡った万次郎。

この地で様々な経験を経ていくうちに、故国日本そのものが世界の大波に洗われ、変化せざるを得ない状況になっていきます。やがて帰国を果たしますが、本来であれば鎖国の禁を犯した重罪人となるべくところ、世界を知る貴重な日本人として遇されることになりました。

 

帰国後は幕府の旗本に取り立てられ、航海術や英語の教授をしたり、外交使節団の一員に加わったりと八面六臂の大活躍をします。当時の日本で、万次郎の代わりになる人材はなく、当然のことだったのかもしれませんが、それだけの能力を彼が備えていたということが、とても重要な要因であると思われます。

 

写真にある万次郎の生家跡は、後世の再建らしいです。夕方遅くに行ったので、地元の集落の方が戸締りをしていたのを、わざわざまた開けてもらって覗かせていただきました。

これまで高知出身の方とは、仕事関係で若干関わりがあったのですが、言葉はみなさん標準語に近く、ドラマで聞くような方言は無くなったのかなと残念に思っていましたが、戸締りのおっちゃんはバリバリのボリボリでした。

 

万次郎のことにすごく詳しく、色々と楽しくお話をお聞かせいただいたのですが、4分の1くらい内容が分からんかった!(その方が近所の別の方と話す内容は、8分の7くらい分からなかったので、相当気をつかって話していただいたのだと思います。)

でも、そのことがとても嬉しく感じましたし、方言って内容が分からなくても、とてもあたたかく優しく感じられます。大切に残してもらいたいです。

 

高知から帰るとき、梼原(ゆすはら)を通りました。

 

 

「脱藩の道」で有名になった梼原の集落は、山あいの小さな村でした。

 

へんぴなと言ったら、地元の方は気を悪くされるかもしれませんが、こんな山の中にも、大きな時代のうねりが押し寄せてきた。若者たちは村の方々で語らい、大きな使命感を持ってこの地を旅立ち、日本の運命に立ち向かって行った。

そのほとんどが無私であり、頼まれもしないのに命を捨てた。おそらくは、このとき日本のあちこちに「梼原」があり、その後の日本を決定づける胎動がそこかしこで起きていたのだと思います。

雨で静まり返った梼原の集落にポツンと立っていると、彼らにとっての未来を引き受けているはずの自分の姿はあまりにも頼りなく、申し訳ないような気がしました。