拙なる日々

コロナウイルス対策の一環としての暇つぶしです。

コロナウイルスと人類と地球

巷に流行る新型コロナウイルスのために行動が制約されてしまい、やることがない。だからブログでも書いてみようと思います。

ウイルスめ。お前にはこんなことできまい。クソ。

 

唐突ですが、世間の騒動に紛れてこんなことを考えました。

このウイルスは何のために生まれてきて、生き、死んでゆくのか?彼ら(?)は一体何のために存在し、これほど爆発的に子孫を増やし、ときには宿主そのものを滅ぼすような行為を行なうのか?宿主の滅びは、自らの滅びでもあるというのに…。

暇だから考えましたが、分かりませんでした。

 

その後、こんなことも考えました。

人は何のために生まれてきて、生き、死んでゆくのか?ウイルスと人類の存在の意味に、何か違いはあるのか?

今年に入ってから短期間に爆発的に存在感を強めたコロナウイルスに対して、人類はとてつもない長い時間をかけて、少しずつ大きな遺産を築いてきたように思われます。長い歴史のなかで、偉大なる人物の崇高な精神が遺され、天才的才能による至高の芸術が遺されてきました。

けれども、例えばフェルメールの傑作を近所の道端に並べたところで、そのへんの犬はマーキングのために小便をふっかけ、猫はゴロゴロとキャンバスに寝そべって毛まみれにするだけであり、結局のところは人類の遺産は人類の自己満足に過ぎないことを認識するだけでしょう。

暇だから考えましたが、地球とか宇宙とかの大雑把なレベルの物差しになると、ウイルスと人類の存在の意味に根本的な違いはないように思いました。

 

もうひとつ、こんなことも考えました。

あれ?私たち人類も地球という宿主をボロボロにしながら子孫を増やし続け、これ以上の温暖化はヤバいとか言いながら電気で成り立つネット空間に筆者自身こんなものをまき散らし、それを読む人がいる。

もしかしたら新型ウイルスには存在の意味があって、それは宿主たる地球の、人類に対する免疫防御反応なのではないか?

え?ということは、地球からみた私たちは…?

 

怖くなってきたので、考えるのをやめました。

早く収束してくれ~。