拙なる日々

コロナウイルス対策の一環としての暇つぶしです。

ようやく6月と7月が終わりました

職場の人事異動が、今年は7月でした。

私は大分残留となりましたが、部署内の身近な人が入れ替わるとなると、引き継ぎが大変ですね。大分を転出する人を送り出す準備に1か月。新たに大分に転入してきた人に伝授するのに1か月。転出する人も転入する人も、そして残ってそれを繫ぐ人も、それぞれに異動とは大変な作業だなと、つくづく思いました。

何とか軌道に乗ってきて、やれやれ。一息ついたところです。

 

まあしかし、自分がもし近々大分を出ることになって、それが全然見当違いの縁もゆかりもない土地に異動せよとかなったら、もうそろそろ隠居かな?とも思います。だんだんトシ取ってくると、そういうエネルギーがなくなってくる。そこまでしなくてもよい準備も、ある程度はできているつもりだし。

所詮、カイシャとの雇用関係なんて、ひとつの「契約」に過ぎないわけで、少なくとも片方が条件に折り合わなくなったら「それまでよ~」で終わるだけの話しだよな。そういう風にとらえると、残りのカイシャ人生もとても気楽に思えてきます。

 

「働くって、結局どういうことなんかな?」と考えることがあります。

もちろん、カネを得て自身の生活を成り立たせるために「働く」わけなのですが、自身の生活を成り立たせるためには、他の誰かを満足させなければカネを出してもらえない。自身を優先させすぎて相手が満足しなければカネは入ってこないし、相手の満足ばかりを優先したらカネが入ってくる前に自分が壊れてしまう。「働く」とは、実はすごく難しい行為なのではないか。

 

新卒予定の大学生の採用面接で、こんなことを言われる方が多い。

自己実現のために、ナンチャラ…」

「私の適性からみて、御社の○○部門を希望…」

で、他の会社さんでもよく聞く話しですが、結局「自分の希望部署ではない」とか、「自分が思っていたイメージとは違う」とか、なんかそんな理由で「退職します…」。

 

私はこのような場面で、次のように問いかけます。

「アナタの自己実現や適性は、もちろん大切なことですが、そのまえにまず、アナタはうちの会社のお客様に対して、どのようなことができるとお考えですか?」

 

仕事って、自分のためにするものじゃあない。

自分の満足のためだけにするのは単なる趣味であって、カネを得るのであれば、多少自分の満足を削ってでも相手の満足を増すようにしなければならない。

それが分かっていない人は、結局どこにもないユートピアを永遠に探し続けることになるのでしょうね。

 

でも仕事って、他人のためだけにするものじゃあない。

相手の満足が自分に跳ね返ってきて、削った分の自分の満足よりさらに大きく積み重なっていく。

それが分かってしまった人は、もしかしたらどんな場所をも自分好みのユートピアに変えてしまうのかもしれない。

 

そんなことを考えながら、でも「要はカネがあれば、そもそも働かなくてイイヨネ!」との結論に達して、とりあえずサマージャンボ宝くじを買いました。

当たれば儲けものです。