拙なる日々

コロナウイルス対策の一環としての暇つぶしです。

とよのくに紀行4~国東の神々

大分県の東北部に、お団子のように丸く突き出ているのが国東半島です。

狭い区域ですが、海と山が混在し、そのなかに漁村と山里が点在し、また人々に大切に護られてきた多くのお寺や神社があります。

小さなお団子のなかに、かつての「日本」が凝縮されているような懐かしさを感じますし、また大分一のパワースポットでもあります。

 

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両子寺を護る仁王像

パワースポットといえば、大分県内全域の特徴として、やたらと崖に仏様が彫られまくっている。有名な所でいえば臼杵石仏ですが、ほかにも県外ではあまり知られていなくとも、思わず「ほほーぉ…!」と唸るような石仏や磨崖仏が各地に存在しています。

一つには、この地域の地質が柔らかくて、彫刻がしやすいといったことがあったのかもしれませんが、「別府爆発説」(※)など様々な仮説を立てるのが好きな筆者としましては、大分の地域にここまで仏を彫りまくったのは、何か別の理由があるに違いないと思いたい。

 

(※)「別府爆発説」・・・別府全体が、たぶん1万年くらい後に火山大爆発します。現在の異常な湯けむりはその前兆。今のうちにお湯を楽しみましょう。

 

私の仮説というのは、とある時期までの「日本」というのは、西は大分までを指していたのではないかということです。あくまでも、大和(奈良県)に中心を持つ政権を「日本」であるとした場合の話しではありますが。

 

どこかの時期まで、大和政権にとっての「日本」は狭かった。東側は、関ヶ原、および愛知県の西部まで。

関ヶ原は、名前の通りかつて大きな関所があった場所です。関所の東側は「関東」と呼ばれ、「日本の文化」に馴染まない「夷(えびす)」が割拠する得体の知れない未開地とされました。

名古屋の南側には、熱田神宮という皇室の三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る由緒正しい神社があります。名古屋がある愛知県西部は、かつて尾張国と呼ばれましたが、「(大和から見て)終わり」の国に、神器のなかでも「剣」を祀るというのが、この政権の「関東」に対する何ごとかを暗示しているかもしれません。

 

では、西側はどうか?

「大和政権」はやはり西側から来て、後年のアメリカ開拓のように(方角は逆ですが)、東に東に徐々に進駐し、最後に駐屯した地が大和盆地だったのだということがよく分かるような気がしますが、西側は「領地」が広いです。

博多は大陸との重要な玄関口。東に開拓を進めていって、もちろんこの時点ではその果てが千葉県銚子市であるとは分かっていませんから、最後に魔物の国にぶつかるかもしれない。そのようなときは、至急元来た実家(大陸)に戻らなければならない。交易や人の交流以外に、もしかしたらそういう意味でも重要な場所であったかもしれません。

瀬戸内海は政権を支える豊饒の海。「玄関」と「駐屯地」を結ぶ兵站線でもあり、戦略上もとても重要な場所です。その瀬戸内海の西側の「ふた」が大分の地。「大和日本人」にとっての安心は、ここまでだったかもしれません。

 

「豊のくに」大分を過ぎると、その奥は「火(肥)のくに」。後の肥前・肥後領域ですが、この地域では阿蘇は噴火するわ、雲仙は噴火するわ、ちょっとこんな物騒な火炎地獄のような所に住もうという気が「大和日本人」には起きません。(「肥」もきっと後年の当て字で、本当は「火前・火後」なんだと思います。)

さらに南に下ると、熊襲・隼人の地。「火のくに」までは人の棲まう世界と見ていたかもしれない「大和日本人」も、私の故郷、いまの鹿児島地域は、もしかしたら猿の化け物のような生物が生息しているといったような感じで捉えていたかもしれません。ロールプレイングゲームの魔物がうろつく異世界のような。

 

「うかうかしてると、地獄に棲まう化け物どもに飲みこまれるぞ!」

 

進撃の巨人」対策で高い壁を作った人類と同様、「大和日本人」は、東の熱田神宮と同じように、西側では国東の付け根にある宇佐神宮を篤く祀り、大分の崖という崖に仏を彫りまくった。結界を作って、化け物どもが侵入できないようにした。

大分の異常な数の仏の彫刻は、信仰心というよりこのような恐怖心がなした結果ではないのか。少なくともそのような何ごとかが、作った時点で心象として残っていたのではないか。

 

これが「日本の西は大分まで説」です。別府爆発説と同様、1万年くらい後に支持されるかもしれません。

 

それはそうと、パワースポットたる国東には、心安まる、何かを感じることができる場所が多いです。

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富貴寺大堂。大分の誇る国宝です。

私も全然詳しくはないのですが、半島全体が六郷満山という一つの大きな宗教施設ともいえる地域になっており、過去の全盛期には途方もない数の寺院が建立されていたようです。

そういうことに詳しくて、そういう方が国東に行くとそれは楽しいのでしょうが、特に詳しくはなくても、きっと大丈夫です。パワースポットですからね。感じればよい。たぶん自分のなかの「血」が覚えているんじゃないですかね。初めて来ても、なにかを感じるというのは。

 

パワスポついでに、少しスピリチュアルな話しをすると、私は「前世」とか「来世」とかいうのは、ある部分で科学的にもあり得ることではないのかと考えています。

自分の中に宿る遺伝子とか、そういう生命の基となる構成要素は、当然親や先祖から引き継いでいる。だから、何百年も前にご先祖様が思ったり感じたりしたことは、どこかで自分の中に、自分自身の記憶とは別に大切に保管されているのではないか?

たとえば生命の進化についても、古代のトカゲか何かが、少ない脳みそで空を見上げて、「空飛びてえなあ…」と思った結果が鳥への進化につながったのではないか?何万年もかけて、個の体としては何百世代に渡って死んで、生きてを繰り返して、とうとう空を飛ぶ夢を実現していったのではないか?

 

それがもし本当であったならば、人々が国東に来てなにかを感じる心の意味も科学的に証明できそうな気がします。「神仏」「前世」等々、非科学的と笑われるかもしれませんが、このようなことを書いたり、そして読んでいただいたり、このような人間そのものや、トカゲがやがて空を飛んでいく生物そのものこそが、非科学的なことではないのかと最近つくづく思います。

 

・・・とまあ、国東に行くと、人々はこのようなことを考えたり、書いたりする。これが国東の力なのだと、強引にまとめて終わります。

 

↓ どうでもいいニャと、猫は寝る。

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