今年の冬は寒かったですが、ようやく春の兆しが見えてきました。
勢いを取り戻しはじめた陽射しの中を歩くのが、とにかく嬉しい。そんな季節がまたやってきました。
旅支度に入る渡り鳥もいるでしょう。
時が来ればただそれだけを理由に、人が作った国境などお構いなしに飛び越えて、遙かなる目的地に飛び立っていく。
旅には多くの困難が伴うのでしょうが、その途方もない自由さがうらやましい。
人が自由に空を飛べたなら、どんなに良かっただろう。
人には、それでも自由な大地があったのに、それも自ら不自由にしてしまった。
「国家」とは何なのだろう。
鳥や魚でも可能なことが、なぜ人にはできないのだろう。
人が自由に空を飛べたなら、どんなに良かっただろう。小さな命も逃げることができたはずなのに。
ここ数日間、愕然とする思いでいます。
ウクライナの人々にも、春はやってくる。
ロシアの人々にも、春はやってくる。
春がくる。
時がめぐれば到来する、ただそれだけの小さな幸せを、でも人は自らの力では作り出せないのです。
もうやめてほしい。
人には、ほかに作り出せることがあると思うのです。