日出(ひじ)城の桜には、ギリギリ間に合いませんでした…。
まだ花はかろうじて咲いてはいましたが、そよ風でも散ってしまうほど。
着いたのが夕方の時間で、散っていく花びらが次々と夕空に溶けていきました。
日出城は、私が大分で一番好きなお城です。
なんと言っても海のすぐそば。
いつ行っても静かで、石垣の上に立つと、やさしいさざ波の音が迎えてくれます。
見晴らしも良くて、お城から別府湾が一望できます。
大分の二大都市が、それぞれどうやって食っているかが見て分かります。
海もとてもきれいです。
この海で捕れるのが、有名ブランド魚の「城下(しろした)カレイ」。お城の下の海にいるから「城下」なんですね。明治になるまでは殿様の魚として大切に扱われ、庶民が食べることは許されなかったようです。
佐賀関の「関サバ」といい、大分は意外に(?)ブランド戦略が上手です。
日出城を作ったのは、木下延俊。
この方、豊臣秀吉の奥さん、おねさんの甥っ子なんですね。延俊の弟が、関ヶ原で史上に残る裏切りを行なった小早川秀秋。
これだけ秀吉に近い縁者であれば、関ヶ原以降は徳川家への顔色を伺うことで大変だったと思います。
しかもかの裏切り者、秀秋の実兄。「東」からも「西」からも白い眼で見られかねない。両陣営から難クセつけられて、すぐに滅ぼされてもおかしくはありません。
それでも生きていかなければならない。家を継いでいかなければならない。
今を生きるごく普通の人々が、過去の歴史から学ぶとするならば、秀吉や家康といったずば抜けた英雄の話ではなくて、地味ながらも相当の苦労をして、それでも後世まで血統を保った木下家のような存在からの方が、得ることが大きいような気がします。
でも木下家の「大河」では、視聴率取れないなあ…。
いやまてよ。『白い巨塔』のような山崎豊子テイストでいくなら、結構盛り上がるんじゃないだろうか…。
まあ後世の私たちは、こんな感じで過去の時間に対して好き放題、高みの見物ができますが、実際の時代を必死に生きてきた木下家はそれどころじゃない。
ストレスがたまっていたのか、近くにある木下家のお墓はやたらとでかいです。
現代の日出町雑感。
私は地元民ではないので、あまり詳しくは存じ上げないのですが、ここ日出町は平成の市町村合併を経てもそのままのようなんですね。小さな町ですし、隣の別府市とかと一緒になっても良かっただろうに。
でも鉄道で一直線に別府・大分へも福岡方面へも行けるし、現在大分市民である私にとって絶望的な遠距離にある大分空港も、ここからは割と近い。
大分都市圏に隣接することで近郊農業も採算立ちそうですし、漁業は先ほどのブランド魚があります。工業も大分市や空港近くの国東にたくさんあって、通勤でもそれほどの負担になる距離ではない。
よくある財政難等から周囲に毛嫌いされて「合併できなかった」のではなく、逆に恵まれているから「合併しなかった」選択を取ったのだろうと思います。最近の日出町の人口の増加ぶりを見ても、それは今のところ成功しているような印象があります。
ここから大分市に戻る途中に、私営の道の駅のような所があります。
そこになぜか、岐阜、長野、石川といった中部地方の、しかもあまりその地区以外では売っているのを見かけない日本酒があります。
そりゃ行きますよね。もちろん。
『女城主』なんて、名古屋勤務のときに一度だけ行った岐阜・東濃の岩村城で、「生涯の一本」だなあ、なんてそのときは思って買って飲んだのに、大分に来て日常的な生活範囲の場所にいつも置いてあるとは。
そういう点でも、私にとって日出はお気に入りの場所です。